あれから20年経った。あらためて歳をとった、と思う。
20年前の88年10月19日といえば、川崎球場で「伝説の近鉄VSロッテ・ダブルヘッダー」が行われた日である。
当時の私は少年野球に打ち込む小学校6年生。学校からダッシュで帰ってくると、すぐにラジオをつけた。近鉄・ロッテ戦を聞くためである(当初はテレビ中継の予定はなかった)。
私の贔屓の球団は阪急だった。私が住んでいた伊丹市と、阪急のフランチャイズ西宮球場は目と鼻の先にある。伊丹から西宮北口の子供運賃が90円で、小学生は100円で球場に入れたので、300円持っていれば野球を楽しむことができた。
が、このときはすでに阪急の優勝はなくなっていた。だから近鉄を応援していた。このときの近鉄の勢いなら、ダブルヘッダー2連勝は十分にありえると確信しながら。
たしか16時すぎだったと思う。アナウンサーが急に焦った口調でニュースを告げた。
「ただいま阪急ブレーブスの身売りが発表されました。新しいオーナーはオリエントリースです」
頭の中が真っ白になった。
すでにこの年、南海がダイエーに身売りされていたので、球団が売り買いされるものであることは知っていた。
でも、何で阪急が身売りせなあかんねん。オレがあんなに西宮球場に通ってやったやん。佐藤義則、山沖、星野、ブーマー、石嶺、松永、藤井、イイ選手もいっぱいいるし、優勝が狙えるチームやん。島野さん(ブレービーというマスコットの中の人)はクビかな。バルボンさん(大阪弁をしゃべるキューバ人)はどうするんやろう。西宮球場で野球やってくれるんかな。そもそもオリエントリースって何の会社や。
ラジオの音が耳に入らず、頭に浮かぶのは阪急に関する思いばかり。いま思うと、あのときの感情は突然の失恋によく似ていた。
その後、20年間で阪急ブレーブスはズタズタに切り裂かれていく。 まず「ブレーブス」のチーム名がなくなった。そして西宮球場が捨てられた。阪急の生え抜きを次から次へと追放した。現役選手には愛想をつかされ、ロクな新人選手を獲らない。ようやく定着した「ブルーウェーブ」というチーム名がふたたび捨てられて、あろうことかライバル球団だった「バファローズ」を名乗り出す。そしてふたたび本拠地が大阪ドームに移転。気づくと、阪急が阪神電鉄を買収してふたたび球団を持つ形になっている。
身売り、チーム名変更、フランチャイズ変更、生え抜き追放、弱体化、低迷、合併、ふたたびチーム名変更、ふたたびフランチャイズ変更……。阪急ファンほどオーナーに虐げられたファンはいない。
10.19は「伝説の川崎ダブルヘッダーのあった日」とプロ野球ファンには認識されているが、この日が「阪急が身売りされた日」であることも忘れないでほしい。「野球はどこのファン?」と聞かれると、今でも私は「阪急」と答える。
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